最近は昔話に興味があって
いろんな昔話をしらべたり聞きに行ったりするのにはまっている
博士課程の学生であるので博士論文を書いているのだが、ふと気が付くと、今にも破れてしまいそうな古本をじっくり読んでいる自分がいる(早く書け)
幸い近くに歴史の研究者がいて、過去の話をいろいろ教えてもらっている
最近面白かったことは
日本スポーツ界の発展に貢献したストレンジが書いた?まとめた?「Outdoor Games」という1冊の本から、現代日本の陸上競技や他のスポーツが始まったという話
そこに記されている記述から時代の移ろいとともにいわゆる専門書の記述がどう変わっていくのか、いかにして現代に伝わったのかを知るのはとても興味深い
歴史的な変遷の中で失われたもの、はたまた革新的な技術が開発され、すさまじい速さで伝搬する様を読みとると、人間の有能さと愚かさの両方を感じることができる
過去700年以上続いた古代オリンピックでさえ一人の王様によって終わりを告げられ
走高跳ではディックフォスベリーがメキシコシティーオリンピックで背面跳びを披露してからわずか15年で、日本記録は16㎝も更新される
そんな時間と記録と人との関係を眺めながら、ここから未来の予測をするというのは甚だ困難を極めるなとは思いつつも
人間が営んできた歴史から何か学ばなけばならないな、という正体のわからない衝動に駆られる
そしてもう一つ、歴史を書き残しておかねば伝わらぬということを実感している
このサーバーは私が死ねばおそらく、見られなくなる
たとえ外部のサーバーに委託しようが、それは根本的な解決にはならず、
動画共有サービスも、いつかは消えてなくなるだろう
そんな時に論文として?公的なビデオとして?
どんな形で我々の営みを、私の見たもの残せばよいのか
そんなことを考えている
私の大好きな物語「左ききのエレン」にこんなセリフがある
「あ、日付が変わった。よし、仕事しよう。(前向きに)」
仕事がしたくて遅くまで作業する喜びを忘れずに行きたいものです